カルテ75 やっぱり ぜんぶ『女性に育てて』もらった
またおよそ一週間のご無沙汰でありました。
さて、今回は少しだけ書いてみましょう。
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↑のリンク先の以前の記事では (↑ポチッで飛ぶはず)
セックスという体のつながり、その行為そのもので、私を男性として性的に成長させてくれた、ひとりの女性について、昔がたりをさせていただきましたが、
今回は、
性的だけでなく、精神的にも成長させてくれた、また「もうひとりの女性」についてのお話となります。
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その女性は、
幼少期の深い心の傷によって、男性とのセックスにおいて「痛み」や「被虐感」によってしか、性的興奮や快感、そして満足感を得られない女性でした。
その女性にとって、
いわゆるノーマルなセックスは、
「ただ、やりたいだけの男性が、性欲にまかせて、その処理のために、自分に挿入して、射精したら終わる」
それだけの行為であって、
行為中も「早く終わらないかなー」と、「自分よりも、人として劣る男性という生き物」にセックスを「されている」自分を、冷めた目で見つめている「もう一人の自分」が、必ずいる。
そういうものでした。
ただ、
そんな男性との行為に、なにがしかの「痛み」が加わることによって、その「もう一人の自分」を一瞬消せる、瞬間「夢中」になれる、
自分のなかに、それがあることを見つけたことで、「痛みをともなう被虐感」が、セックスにおける主たる快感となった、いわゆる「真性M」の女性が生まれることとなりました。
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でも、
そんな彼女にとっての最大の問題は、彼女の中にある「真性M」性を、「過不足無く」満足させられる男性が、彼女が知るこの世の中に存在せず、近づいてくるのは、絵に描いたようなSMプレイ的な、いわば「ファッションS」の男性ばかり。
その結果、男性に対しての「やっぱり男ってバカだなー」「早く終わらないかなー」 そんな気持ちは、あきらめをともなって、さらに、さらに、増幅されてゆきました。
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そんな頃、
ご縁あって、私はその女性と、お付き合いをすることになりました。
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当初のセックスは、自然に彼女の意向に沿った、やはり痛みや拘束などと、挿入行為を合わせたものでした。
ただし、それはプレイではなく、
彼女が望むだけの「本気」、そして「真性M」の彼女だからこそ見いだすことができた、私の中の「S性」を、彼女にとって「過不足無く」ぶつけること。
そこから生まれた「夢中」の時間が、彼女にとっての「理想の男性との、理想のセックス」を体内、脳内にかたち作り、
やがて、シンプルな挿入行為のみによる「中イキ」 そして「ポルチオイキ」「連続イキ」を知ることに。
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男性器そのものによる、容赦のない、終わりが見えない、いわば「イキ責め」「絶頂責め」を受ける被虐感によって、「冷めたもうひとりの自分」が、存在することができないセックス。
その「自身ではコントロール不能の絶頂感」による「 被支配感」が繰り返し与えられた結果、この上ない女性としての性的、生物的満足を得られるまでの成長を見せていた、
そんな頃、
彼女が、ふと、つぶやくようにいった言葉
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「 マゾヒストが本当に欲しいもの、
私が欲しかったものって、わかりますか? 」
本気の痛み?本気の虐待? そんな稚拙な言葉を頭に浮かばせていた私に、
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「 父性です。 」
ふせい?
「 そうです。 父性。 」
「 痛みや被虐によって、
私がどんなに、泣いても、わめいても、
それこそ、頭がおかしくなって、ダメな人間になっても、
絶対に私を見捨てたり、手放したりしない、
『圧倒的な父性』 です。 」
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気がつけば、
その女性との、長時間にわたる「本気」の責めをともなったセックスと、それなりの期間にわたるお付き合いの中で、
彼女が 望んだ、私の中の「男性」だけでなく、彼女が願った、その「父性」というものが、育ちはじめていたように思います。
なぜか、相手に寄り添いたい、大事にしたい、そう思う気持ちを伴った「責め」の中から自然に、
「無条件で、この人の味方でありたい」
と思える気持ちが芽生えた。
そんな自分自身の不思議な変化を、実感していた日々でした。
「父性」も、小さい女の子がすでに持っている「母性」と同じように、実際の年齢や社会的立場にかかわらず、周りの環境や、経験からの影響を受ける形で、そのひとの内面の奥底に静かに育まれていくものではないかと思います。
そんなことを考えている私は、今では「度」を越えてしまって、「大切にしたい」と思える女性に対しての心持ちが、「じいさんが孫を見ている」ような、そんな「手放しの無条件さ」に、なってしまっている感もありますが(苦笑) そんな気持ちが誰かのためになることを、自己満足的ではありますが、願っています。